SaaS ERPをFTSで導入するためのチェンジマネジメント 総論賛成から各論反対/意識改革の分岐点 その4:ERPトレーニング

スタートアッププログラムとTo-Beヒアリングを経て、いよいよERPのトレーニングに入ります。

「FTSアプローチでの導入なのだから、もっと早い段階でERPを操作できるようにすべきでは?」という声も聞こえてきそうですが、実はそこに落とし穴があります。早急に操作習得に走ってしまうと、かえってFit to Standardの原則から遠ざかってしまうのです。

というのも、これまでのチェンジマネジメントのステップでは、「現行業務との比較」─すなわちFit & Gap思考─に陥ることを避けるため、新しいシステムであるERPをあえていったん脇に置き、ゼロベースでその仕組みを受け入れるための土壌を整えてきました。今回の「習得」ステップは、まさにその土壌があってこそ、初めて意味を持つのです。

そこで本稿では、トレーニングの具体的な方法論ではなく、チェンジマネジメントの視点から、ERPトレーニングの“意味”と“位置づけ”に焦点を当てて解説します。

第四ステップ:習得〜新たな知識を学ぶ〜

ERPという新たな仕組みを学ぶにあたって、まず重要となるのは、トレーニングを担当するベンダー側が、ユーザー企業のビジネスモデルや業務の実態、さらには抱えている課題やニーズをよく理解していることです。

良いトレーニングとは、単なる操作説明にとどまりません。「ユーザー企業の言葉」で、「実在する製品・取引先・悩みごと」を教材に用いることで、受講者が学びを“自分の業務”として捉えられる設計が求められます。

そのためには、To-Beヒアリングで得た知見を活かし、実際のビジネスプロセスやデータをトレーニングに取り込むことが肝要です。これにより、受講者は「単なる画面操作」ではなく、「業務全体の流れと役割」を理解する学びへとつなげることができるようになります。

こうした設計を効果的に機能させるうえで欠かせないのが、講師と受講者との間に築かれる相互理解と信頼関係です。トレーニングは一方通行の教示ではなく、対話と共感による双方向の学びとして成り立つものです。

たとえば講師が「このプロセス、To-Beヒアリングでも課題として挙がっていましたね」と一言添えるだけで、受講者にとってその内容は一気に“自分ごと”として響きます。これは単なる感情的な寄り添いではなく、To-Beに向けたプロジェクトの文脈を講師が的確に理解し、具体的な場面で活かしているからこそ可能になるアプローチです。

一方で、世の中には「誰にでも使える」ことを前提とした汎用的なトレーニングカリキュラムも存在します。しかしそうした形式では、ユーザー企業の業務や課題の背景が共有されないまま、表層的な操作説明に終始してしまうことが少なくありません。

こうした前提を欠いたままトレーニングを進めると、さまざまな問題が表面化します。

チェンジマネジメントなきトレーニングの末路

本題に入る前に、ERPトレーニングの失敗のパターンに触れておきます。この「習得」ステップに至る前のチェンジマネジメントステップを省略すると、以下のような問題が頻発します。

操作性の不満:現行システムとの差異を「使いにくい」と感じ、すぐに「もっと簡単にしてほしい」といった要望が出る。

項目の多さへの拒否反応:不慣れな画面に対し、「この項目は使わない」「非表示にできないか」といった声が上がる。また、項目一つ一つをすべて理解しようとする質問に多くの時間を要する。

用語の違和感:「この項目名は自社の言葉ではない、変えてほしい」といった抵抗が出る。

操作性、見た目(項目の多さ)、専門用語、どれも本質ではないことなのですが、ほとんどの場合、これらの要求が発生して、トレーニングは進行が悪くなり、FTSからかけ離れていきます。

こうした“瑣末な要望”に対して、講師側が現行業務の問題構造を正しく理解していないと、要望の背景を踏まえた説明や導きができません。さらに、項目の表示や名称変更は多くのERPで技術的に可能であるがゆえに、つい「変更できます」とその場をやり過ごすような対応をしてしまいがちです。

しかし、本来のERPの目的はBPR(業務改革)であり、その実現のためにFTSアプローチを採用している以上、トレーニングの場でこうした要望を安易に聞き入れてしまうことは避けなければなりません。一つの画面や項目に対する個別対応を認めてしまうと、それが “前例”となって他の画面や機能についても同様の変更要求が広がり、結果としてシステム全体の標準性が崩れていきます。これはプロジェクト全体の整合性を損ない、後になって「なぜこのような対応を許してしまったのか」と後悔することとなるでしょう。

覚えておきたいのは、「今は使わない」と思われた項目であっても、CRP(Conference Room Pilot:実機検証)や将来的なプロセス拡張のフェーズで必要になる可能性があるということです。また、今は見慣れず違和感がある画面項目や用語も、半年もすれば自然と慣れていくものです。たとえ当面使わなかったとしても、“目に入る項目”が将来的な発想や業務改善のヒントにつながるという効用もあるのです。

FTSに向けたERPトレーニングの意義

ERPトレーニングのゴールは、次のCRPに向けて、プロジェクトメンバー自身がERPを操作・判断できる状態をつくることです。

そして、受講者であるプロジェクトメンバーは、初めて触れるERPに戸惑いながらも、まずはERPのコンセプトとウォークスループロセスに集中して学習を進めていくのです。

「この項目にこの値を入力してください」と指示されながらの操作ではなく、背景の意味を理解した上で、「自分の判断で業務を流す」ことができるようになるために、ERPトレーニングでは「プロセス」と「コンセプト」の理解が中心となります。

そのために、トレーニングにはいくつかのルールがあります。

ERPトレーニングの三つのルール

ここまでのチェンジマネジメントステップによって、受講者の中には「標準機能で業務を見直す」という意識が育ちつつあります。その前提があるからこそ、トレーニングでも次のようなルールを無理なく受け入れ、前向きに取り組むことができるのです。

  • 操作の負担を気にしない
    トレーニングでは、ERPのプロセス構造を理解するために、受注や製造など複数のトランザクションを実行し、オーダーステータスの変化を自ら体験してもらいます。確かに手数は多くなりますが、「どの操作がどのステータスに影響を与えるのか」を自分の手で確かめながら進めることで、ERPの仕組みが深く理解できるのです。※オーダーステータスの詳しい解説については「ERP知識シリーズ オーダーステータスの理解」をご覧下さい。
  • ウォークスルー用の基礎プロセスと主要項目に集中
    先程の例にもあった通り、ERPのマスターは項目がとても多いです。受講者はどうしても項目の意味を知りたくなるところですが、それでは、時間内に必要なことを学びきれません。ここでは、ウォークスルーレベルの基礎プロセスと主要項目の理解に的を絞り、詳細な項目解釈や設定知識は次のCRPフェーズで段階的に補完していく、という明確な割り切りを持って進めます。
  • 自分の担当外業務にも積極的に関わる
    どうしても、自分の担当外となると関心が薄れ、理解も難しく感じるものです。しかし、ERPでは業務が部門をまたいで一貫して流れるため、全体像の把握が必要です。このトレーニングを機に、自部門の前後工程への理解を深め、部門横断の課題にも対応できる力を高めていきます。
トレーニングの振り返り

トレーニング終了後には、「振り返り会」を開催します。

この会では、トレーニング中の演習問題で優れた成績を収めたチームを称えるとともに、受講前に抱えていた不安がトレーニングを経てどのように変化したかをチームで共有します。こうした振り返りを通じて、「私たちは確かに変革の道を歩み始めている」という実感を得ることが、この会の目的です。

また、振り返り後も継続して学びを促すために、復習用の演習環境や質問フォームを提供し、自主学習の継続を支援します。

あわせて、メンバー自身の成長実感と習得レベルを可視化する指標として、ILUO評価も提示します。ILUOとは、習熟の段階を「I(指導が必要)→ L(理解)→ U(自立)→ O(他者に教えられる)」の4段階で可視化する評価モデルです。詳細は以前の記事(ERPの習熟度管理「ILUO」)をご覧ください。

このようにして、プロジェクトメンバーは「新たな知識を得た」という実感とともに、ERPの標準機能を通じて「自分の業務がこれからどう変わっていくのか」を、自らの言葉で語れるようになっていきます。

次回は、この学びを活かす場としてチェンジマネジメントの第五ステップ「実践:新業務にチャレンジ」を解説します。

なお、トレーニング方法の具体的な設計や進め方については、別途公開している「SaaS ERP導入における、プロジェクトチームトレーニングの勘所(前編後編)」をご参照ください。