SaaSタイプのERPにおける本稼働判定 基礎編

プロジェクトが終盤に差し掛かると、いよいよ「本稼働できるか否か」を見極める時期に入ります。この評価によって、これまで推進してきたプロジェクトの品質が可視化され、本稼働の是非を判断することになります。これがプロジェクトにおける本稼働判定です。

今回の投稿では、SaaS ERP導入の本稼働判定をテーマに、その基礎編として「評価軸」と「評価領域」という2つの視点から整理して解説します。

4つの評価軸

本稼働判定は、次の4つの評価軸に基づいて構造的に行います。この4軸は、プロジェクトの成果を単なる「できている/いない」ではなく、「どこまで準備が整っていて、どこにリスクが残っているのか」を浮き彫りにするための座標軸です。

1. 網羅性(Coverage)

To-Be業務、マスタ、ユーザー、機能、データなど、対象が過不足なく定義・準備されているかを確認します。網羅性は全体を示す“分母”にあたり、対象が抜け漏れなく把握されているかが評価の出発点となります。

2. 稼働性(Operability)

稼働性は、網羅された対象が実際に稼働検証されているかという“分子”に相当する観点です。CRP、システム統合テスト、ユーザー受入テストなどを通じて、業務・システム・データが連動し、現実の制約下でも安定的に機能しているかを評価します。

3. 適合性(Fitness)

ERPの標準機能(Fit to Standard)に対して、業務やデータ、運用体制がどれだけ無理なく適合しているかを確認します。ERPに業務を押し込むのではなく、業務を標準的な形へと整えていく柔軟性が求められます。

4. 継続性(Sustainability)

本稼働後もシステムや業務が安定して運用され続けられるかを確認します。サポート体制、教育・属人性の排除、ビジネス環境の変化に対応するための内製化度、ERPの定期アップデートへの備え、変更管理の仕組みなど、将来にわたって運用を持続、改善できる“しなやかさ”が備わっているかを評価します。

4軸間の関係

本稼働判定における4つの評価軸は、それぞれ異なる観点を持ちつつも、相互に補完し合う関係にあります。例えば、網羅性が不十分であれば、そもそも検証すべき対象が揃っておらず、稼働性の評価も意味をなさなくなります。逆に、網羅性と稼働性が高かったとしても、それが標準機能から大きく逸脱した構成であれば、適合性の観点では課題が残ることになります。

一方で、「適合性が低い=本稼働不可」と短絡的に結論づけるのではなく、継続性によって補完できているかどうかを評価の焦点に置くのです。

たとえ適合性が限定的であっても、拡張箇所が明確に文書化されており、構造理解や変更影響の把握・検証ができる仕組みが整っていれば、そうした構成は“持続可能”として受け入れることができます。適合性の限界を正しく認識した上で、将来の変化にどれだけ柔軟に対応できるか、それを継続性の軸で評価することが求められます。

特にSaaS ERPでは、オンプレ型とは異なり、ベンダーによる定期的なアップデートが前提となるため、導入時点での完成度よりも、ERPと連携する他システムも含め、変化に耐える構造を備えているかどうかが、長期的な成功のカギを握ります。

この4軸をあえて単純化すれば、網羅性と稼働性は「現在の完成度」を、適合性と継続性は「未来への耐久性」を示すものと整理できます。そしてSaaS ERPの本質に即して考えるならば、継続性の高さこそが、最終的な経営判断に深く関わる評価軸になると言えるでしょう。

従って4つの評価軸は、「どれか一つでも欠ければNG」という足切り基準ではなく、互いを補完しながらプロジェクトの強みとリスクを浮かび上がらせる評価モデルとして機能させることが重要なのです。

4軸とプロジェクトの目的との関係

これらの評価軸は、本稼働判定における最大の問い、「このプロジェクトは、当初掲げた目的を果たす水準に到達したのか?」を、構造的かつ客観的に測るためのフレームワークとして位置づけられます。

例えば、プロジェクト目的が「属人性の排除と業務標準化」であれば、適合性と継続性によってその実現度を測ることができます。目的が「業務の可視化と一元管理」であれば、網羅性と稼働性の評価がそれを裏づけます。つまり、評価軸とは「目的に対して何を確認すべきか」を言語化したものであり、目的達成の証拠を構造的に掘り出すためのツールなのです。

これら4つの評価軸は、「何を、どの視点で評価するか」を示すものであり、いわば評価の“ものさし”です。そして、実際に評価すべき“対象”が何かというと、それが次に紹介する6つの評価領域です。

6つの評価領域

本稼働判定には、次の6つの評価領域があります。それぞれが独立した視点を持っており、いずれか1つでも基準を満たしていなければ、本稼働を迎えることはできません。

  1. ビジネスプロセス準備
  2. ビジネスデータ準備
  3. 技術準備
  4. 人材準備
  5. 移行準備
  6. 運用準備
ビジネスプロセス準備

全社・全業務におけるTo-Beプロセスが定義・検証され、例外処理や拡張要件も含めてERP上で実現されているかを確認します。インターフェース・外部機器・RPAなども含めたシステム連携の稼働性も評価対象です。ここでは「すべての業務が定義されているか(網羅性)」「実機で再現できているか(稼働性)」「Fit to Standardで無理がないか(適合性)」「将来変更時にも対応可能な構造か(継続性)」のすべてが問われます。

ビジネスデータ準備

マスタやトランザクションデータが、ERPの標準に適合した形で構築され、品質と一貫性を保っているかを評価します。検証対象の網羅性、データの整合性、データメンテナンスの運用体制などが主な評価軸です。データは「動くシステム」の根幹であるため、稼働性と継続性の両軸において重要な役割を持ちます。

技術準備

ネットワーク、端末、クラウド環境、外部接続などのテクニカルインフラが安定して稼働し、想定される業務負荷にも耐えられる状態にあるかを確認します。ID・権限管理やセキュリティ、運用監視、障害対応体制もこの領域に含まれます。継続性の土台として「技術的に破綻しない構成」になっているかが問われます。

人材準備

ユーザーや業務責任者、マスタ管理者などが必要な操作・判断ができる状態にあるか、またそれを維持できる教育・支援の仕組みが整っているかを評価します。単に「トレーニングを実施したか」ではなく、「使いこなす体制が根付いているか」「属人性なく運用できるか」が継続性の観点から重視されます。

移行準備

運用移行(人・手順・体制)、システム移行(構成・設定・接続)、データ移行(抽出・変換・ロード、検証)の3領域をまたぐ移行計画が実現可能な状態にあるかを評価します。単なる移行手順の整理ではなく、反復検証の実施、切り戻し計画、リハーサル実施状況などが稼働性と継続性の両面で評価されます。

運用準備

本稼働後の安定稼働を支える体制が構築されているか、現場とシステムベンダー間での役割分担が明確になっているか、問い合わせ対応や障害対応、変更管理などの運用ルールが確立されているかを確認します。継続性の最終到達点としての評価軸であり、体制の「しなやかさ」や「自立性」が重視されます。

評価軸と評価領域の組み合わせ例

ここまでの説明では「評価軸はものさし」「評価領域は対象分野」として整理してきましたが、もう少し実感を持てるように、簡単な例を紹介してみます。

例えば、「マスタ登録作業に関する人材準備」という一場面を考えてみましょう。このとき、次のように4軸で評価されます。

網羅性:必要なマスタ(品目、取引先、BOMなど)を、誰が、どのタイミングで、どのルールに基づいて登録・管理するかが明確に定義されているか?

稼働性:定義されたマスタ管理プロセスが、実際にプロジェクト中に試行され、ミスなく運用された実績があるか?

適合性:そのプロセスがERP標準の機能(例:マスタ承認フロー)に自然に収まっているか、カスタマイズを伴わずに実現できているか?

継続性:この作業が特定の個人に依存せず、異動や欠員があっても引き継げるような教育・ドキュメント・権限設計が整備されているか?

同じ出来事でも、4つの軸がそれぞれ異なる観点で「準備の質」を照らしていることがわかります。

各評価領域とフェーズごとの完了基準

本稼働判定はプロジェクト終盤に実施されるものですが、各フェーズ(構想策定/業務設計/システム開発/導入移行/運用開始)ごとに段階的な完了基準が設定され、徐々に各評価領域が成熟していく構造になっています。

今回の記事ではこの点の詳細には踏み込みませんが、「領域ごとの完了条件」と「フェーズの進捗」は、プロジェクトの進行に応じて整備されていく作成物(例:MoSCoWによる業務要求・機能要求、Must/Should判定、ILUOによる習熟度評価、ECRSによる業務改善、データ移行計画、拡張機能開発計画など)と連動しています。

これらの作成物が各フェーズにおける成熟度の指標として機能します。例えば、構想策定フェーズでは業務要求をMoSCoWで網羅し、CRPサイクル2では機能要求を明確化し、標準機能での実現可否を検討した上で必要に応じて拡張開発に接続させます。このように、プロジェクトの進行にあわせて、各作成物のステータスがどの水準に達しているべきかを定義し、それが評価基準として本稼働判定に反映される構造となっています。

まとめ

今回の投稿は、前回までのチェンジマネジメントシリーズとは一転して、より実務的な内容としました。これはどちらが良い・悪いという比較ではありません。むしろ、プロジェクト品質を高めるにはチェンジマネジメントによる「内面の意識」と本稼働判定による「外面の実装状態」の両方が必要であるということを強調したかったのです。

本稼働判定は、プロジェクトの完了を示す区切りではなく、その仕組みが「これからの業務を支え続けられるか」を見極める重要なフェーズゲートです。

網羅性、稼働性、適合性、継続性という4つの軸を通じて6領域を構造的に評価することで、本稼働判定は単なる通過儀礼にとどまらず、事業継続に耐える仕組みが実現されているかどうかを確認する“経営判断”のプロセスとなります。

次回の「実践編」では、今回紹介した評価軸と評価領域を用いて、実際のプロジェクトにおいてどのように評価基準を設定し、本稼働判定につなげていくのかを、より具体的に解説していきます。