“現場の柱”キーパーソンの存在
ERP導入プロジェクトの初期、「トップの理解が得られているので大丈夫です」といった言葉をよく耳にします。たしかに、経営層が強く意思を持って変革を推進すればプロジェクトメンバーの士気も高まるでしょう。しかし、現場にその想いが浸透しない限り、プロジェクトは思うように前に進みません。いわゆる総論賛成・各論反対、そうした事態に陥るのは、たいてい現場の信頼を得られていない場合です。
そのとき、頼りになるのが「現場のキーパーソン」です。現場から信頼を集める彼らが、「このプロジェクトは意味がある」「今こそ変えていくべきだ」と語ることで、プロジェクトは再び前を向くことができます。現場に最も近いところで変革を支える存在、それが“現場の柱”キーパーソンです。
“現場の柱”キーパーソンとは
キーパーソンは単なる「業務に詳しい人」ではありません。自分の担当に閉じず、流れのつながりを見て、愚痴を改善の材料に変え、日々の小さな工夫を自然に共有できる人です。会議で雄弁でなくても、休憩の立ち話で「今度この策を試してみようか」と改善策をさらっと言える方です。こう言った方は、現場の言葉とプロジェクトの言葉の橋渡しを担います。では、そのキーパーソンをどう見つけるか。
キーパーソンを見つける方法
見つけ方は難しくありません。キーパーソンには、いくつかの共通する特徴があります。まず、現場の業務を熟知し、「いま何をしているか」だけでなく、なぜそのやり方になったのか/どこに課題があるのかまで同時に語れること。宿題への反応も速く、「昨日の分をまとめておきました。少し話しましょう」と自ら次の一手を切ってきます。こうした方は、多くの場合ヒアリングの段階でほどなく見えてきます。
社内経歴にも手がかりがあります。ジョブローテーションが盛んな企業なら、販売と生産の両方を同程度の期間経験している人は双方の視点を併せ持つため、問題の芯を捉えるまでの見立てが速く、打ち手の優先順位もぶれにくくなります。社歴の長い方に当たるのも有効で、本人がキーパーソンでなくても複数の候補名が挙がります。休憩スペースや喫煙ルーム、通路の立ち話で上がる名前も見逃せません。他部門から同じ名前が独立に挙がるようなら強いサインです。
肩書きではなく、現場に慕われているかで見ます。相談が集まり、提案を素早く試して短い間隔で結果を示せる人。そこに「変えたい」という意志が加われば、その人への支持が推進力となり、プロジェクトは前に進みます。
“巻き込む”ではなく“惹きつける”
キーパーソンが見つかったら次は巻き込みです。キーパーソンを「この人が必要です」とプロジェクト側から指名しても、そう簡単には巻き込めません。というのも、彼らはすでに普段の業務で2倍、3倍の仕事を抱えていることが多いからです。周囲からの期待も高く、頼まれ事も多い。そこにプロジェクト業務が加われば、単に負担を増やすだけの存在になってしまうおそれもあります。
だからこそ、“巻き込む”のではなく、本人が『関わりたい』と思えるように“惹きつける“のです。先ずはプロジェクトの現状とリスク、直近の課題や改善ポイントを率直に共有し、要望を“相談”として求めます。そして、メールではなく顔を合わせた短い対話で関係を築きます。
いただいたアドバイスは当日中に反映し、次回は反映後のイメージを必ず提示します。『このプロジェクトは言えば変わる』を実感してもらうため、説明を重ねるよりも、提案→実行→結果共有のサイクルを短く回します。キーパーソンからのインプットには、必ずプロジェクト側のアウトプットで返す、この積み重ねが、キーパーソンの当事者意識を自然に高めるのです。
「時間の壁」を克服する
共感が生まれたら、次は時間の確保です。狙いは、キーパーソンの時間を増やさずにプロジェクトを前に進めることです。新しい会議や資料づくりを足すのではなく、いまある業務の枠にプロジェクトを挟み込むのがポイントです。
以前のプロジェクトでは、週1回の事業部会議で冒頭の5分だけ触れる時間をもらいました。議題はいつも同じで、先週の改善ポイントと今週試す一手、いま困っていることを手元メモで共有するだけ。準備は増やさず、日々の実務で把握している内容の延長で話します。これを続けると、直接の関係者でない方々も状況をつかみ、関心が少しずつ高まるので、必要なときに声がけや紹介が得やすくなります。大きなイベントにはしませんし、追加の時間も要りません。定例の中で短く触れておくだけで、周囲の理解が少しずつ進み、必要なときに協力を得やすくなります。
同じ発想で、朝会や班ミーティングにも一項目だけ「先週の改善ポイント/今週試す一手」を差し込むと良いでしょう。議題を既存の定例に重ねることで、キーパーソンは別枠の準備や出席を増やさずに、プロジェクトの話題を日常の流れに載せられます。並行して、上長とは「週に〇時間はプロジェクト優先」という小さな枠だけを約束し、記録は既存の業務メモに一本化してこちらで整える。こうして、時間を“足す”のではなく使い方を置き換えることで、負担を増やさずに回る仕組みとするのです。
体制表に名前がなくても協力は得られる
“巻き込む”のではなく惹きつけるやり方を徹底し、キーパーソンの時間を増やさない工夫をすれば、正式アサインがなくても協力は得られます。
なぜこれで動いてくれるのか。キーパーソンはもともと現状への課題意識と良くしたい気持ちを持っています。自分の言葉がすぐ現場の変化につながるとわかれば、体制表に名前がなくても自然と手を貸してくれます。
キーパーソンの事例
ある工場では、生産管理部長がキーパーソンでした。体制上はプロジェクトメンバーではありませんが、前回の生産管理システム導入で大変な思いをした経験から、今回のERPの重要性を強く感じていました。私たちが関係を築くと、自ら動き始めてくれたのです。
このキーパーソンが最初に取り組んだのは“使い方”ではなく“考え方”の理解です。新しいERPのコンセプトと仕組みを徹底的に理解した上で、次に着手したのは、新システムのERPではなく現行システムの在庫精度の底上げでした。ERP導入の土台は在庫精度にあり、「稼働前にできることは今日やる」この姿勢です。現物と伝票をロット単位で突き合わせ、入出庫を現行システムへ間違いなく登録する運用を作り込みました。誤差が出れば伝票からどこで間違いが起きたのかを追い、その日のうちに原因と手当てを現場へ戻す。ミスを防ぐため、品名が似た部品は棚の配置を入れ替え、先入先出が守れる置き方に改めるなど、現場で回しやすい手当てをその場で行いました。
キーパーソンはまず自分でやって見せ、翌日は現場の担当者に同じ手順で実践してもらい、「これならできる」という手応えを持ってもらいました。育成もうまく、こうした小さなサイクルを日々回した結果、導入時点の在庫精度はほぼ誤差のない水準に達し、立ち上げの難しいロット管理もスムーズに稼働しました。
キーパーソンがもたらす“納得”
プロジェクトにキーパーソンが加わったとき、ユーザー側の空気は一変します。「あの人が言うなら間違いない」「あの人が一緒にやってるなら安心だ」、こうした言葉がユーザーから出てくるようになると、プロジェクトは急に走り出します。キーパーソンの力は、単なる業務知識や経験にとどまりません。現場における“納得”の伝播者として、プロジェクトを裏側から支える存在なのです。
まとめ
トップダウンは始動の力、現場のキーパーソンは推進の力。キーパーソンは、プロジェクトの成功に欠かせない“現場の柱”です。しかし、彼らは自然にはプロジェクトには加わりません。こちらから歩み寄り、敬意をもって関係を築き、その中で「変革の意味」を共有していく、この丁寧なプロセスこそが、キーパーソンの力を引き出す鍵となります。変革プロジェクトでは、こうした現場との対話と信頼形成を何よりも重視しなければなりません。トップダウンだけでなく、現場との“対話の架け橋”をどれだけ築けるか。キーパーソンとの関係性は、その象徴でもあるのです。
次回告知
次回 8月21日 から、要求管理「The・MoSCoW」を 連載形式で公開します。要求レベル×優先度マトリクスの正しい使い方、Must haveの抽出手順、BPRとの関係、そしてAs-Isの要求がTo-Beの業務へ変わるプロセスまで、ERP導入の要点を実務で使える“型”として順に掘り下げます。どうぞお楽しみに。